突然ですが、「愛」のあるコスプレとは何でしょうか?
突然このような質問をされたら皆さんは何と答えますか?
わりとコスプレの「愛」について何なのか考えてない人って多いと思うんですよ。
だって、コスプレって趣味じゃないですか。
結構「やりたいからやってる!」という気持ちで動いている部分って多いと思うんですよ。
少なくともエリ狐は10分くらい考えちゃうかもしれないです。
コスプレを始めたての頃にはコスプレのサイトでマナーやメイクのやり方など調べたり、人から聞いたりしてました。
もちろん今もいい情報は取り入れるようにしています。
そこでふと見かけるのが…
- そのキャラを愛しているからコスをしている
- 愛のあるキャラをやるべき
- 特に愛のないキャラのコスをしているレイヤーは地雷
といった意見が多いということです。
そのような意見が出るのはわかるんですよ。
「人気を取りたい!」とか、「注目されたい!」という気持ちに対する嫉妬みたいなのは出てきても思いますし、正直ファン側としてはそれを土台に注目されることにいい気持ちじゃないです。
ただ、エリ狐の意見としては、そのキャラ(もしくは漫画)への愛着とかキャラへの愛は定量的なもので判断することは難しいですし、「そこまで叩く?」と思ってしまいます。
正直、「別にやりたいのならやればいいんじゃないの」と思っているのです。
今回は、「愛」のあるコスプレとは何か考えてみようという記事です。
そもそもキャラを愛しているとはどういうことか
某コスプレサイトでコスプレへの愛とは、何なのか調べたところ…
「好きかどうか」という意見が多いです。
一方でコスプレをする人には「作品は好きだけれど自分には似合わないから、自分が似合うキャラクターで選ぶ人」が居ます。
ここで共通していることは「作品が好き」ということです。
つまり、「作品が好き」という気持ちがあれば誰でも作品を愛しているということで良いのではないかということです。
愛していないキャラ以外はコスしてはいけないのか
あくまでもコスプレは”趣味”ですので、周りの意見に左右される必要はありませんし、間違っていないです。
しかし、コミケやハロウィンといったイベントでは不特定多数の人の目のつく場所でコスプレするときはどうでしょうか。
その時は、ある意味「その作品の看板を背負う」というのと似た意味をもつように感じます。
俗にいう風評被害のようなものです。
過去にあったこととしては、おそ松さんレイヤーがアコスタでモデルガンを人にあてたり、デュラララのキャラクターでガードレールの模型を公共の施設に持って行ったりなどコスプレイヤーの不祥事により作品やその作品のファンであるコスプレイヤーのイメージを下げてしまうことがありました。
仮に自分の大好きなキャラクターのコスプレをしてる人がいたとします。
そのキャラは地毛では難しい色の髪をしているのにもかかわらず、黒髪などの地毛でコスプレをしているのを見かけたり、自分の好きなあのキャラだ!と思ってお写真を頼もうと声をかけたら、「キャラも作品も知らないけどコスプレしてみました!」などと言われたら「え?」と思ってしまいますよね。
極端にいうのであれば、「自分の好きなキャラを貶されている気持ち」になるわけです。
ここでいう「その作品の看板を背負う」という意味は、そのような不快感を与えないことなのではないかと思います。
できるだけウィッグを被ったり、メイクを頑張ってみたり、少しでもキャラに近づく努力をしている姿勢が大切なのではと感じます。
これまでイベントで遭遇したレイヤーさんより、作品に興味を持つことも多かったし、そこからコスプレに興味をもったり、作品を好きになるきっかけになることもあります。
もちろん、クオリティを高くしなければならないということではないですが、キャラを名乗るなら、やはり「その作品の看板を背負う」ということは最低限必要なことではないかと思います。
皆さんはいかがでしょうか。
最後に
「愛」のあるコスプレとは何なのか。
それは作品が好きという気持ちがあり、「その作品の看板を背負う」気持ちでコスプレをすることというのでしょうか。
最近ではコミケで芸能人がコスプレをする機会が増えています。
もちろん注目されるというところが大きいと思いますが、そんな彼らでさえ作品を愛したコスプレが多いです。
ですので、「その作品の看板を背負う」気持ちで自分もコスプレを楽しむことが大事なのではないかと思います。
皆さんはいかがでしょうか。